石原支部長の記事が地元紙に掲載されました

 今回の案内人は、日本復帰20年に合わせた首里城の正殿復元事業を現地で統括し、2019年の焼失後は再建を願って活動する兵庫県参与(花と緑のまちづくり推進担当の石原憲一郎さんです。

 

 1冊目は、岡本太郎著「沖縄文化論 忘れられた日本」(中央公論社、中公文庫)です。復帰前、1959年の優れたルポルタージュで、87~89年の国営沖縄記念公園事務所長の在任中に出合いました。中国や日本、朝鮮などの影響が混交する沖縄の文化芸術を私は素晴らしいと感じていたのですが、著者はそれよりも、一見何もない聖域である御嶽や、祈りを形にした祭祀に魅了され、高く評価している。こんな見方があるのかとショックでした。

 中でも心に残るのは、72年の復帰への思いを記した文章です(「増補」として収録)。「沖縄の人に強烈に言いたい。沖縄が本土に復帰するなんて、考えるな。本土が沖縄に復帰するのだ、と思うべきである」。著者はそうつづり、独自性を失わず「豊かに生き抜いてほしい」と訴える。しかし相次ぐリゾート開発や米軍跡地のまちづくりを見れば、現実は違うのではないでしょうか。これは全国の地方都市にも共通しています。東京一極集中が止まらない今、異質ではあるけれど、根源を追究する岡本氏の言葉に触れるのは意味があると思います。

 次は、与那原恵著「首里城への坂道」(筑摩書房、中公文庫)を。大正末期から通算約16年にわたり県内各地で「琉球芸術調査」を行い、第一級の膨大な史料を残した、鎌倉芳太郎氏の評伝です。

 鎌倉氏は幅広い分野の人と精力的に会い、信頼を得て門外不出の史料の見学を許され、詳細な記録を残しました。戦時中は東京の自宅の防空壕に大量の写真のガラス乾板を保管し、守り抜いた。これらは沖縄戦で失われてしまった文化財、例えば歴代琉球国王の肖像画「御後絵」などの復元に極めて大きな役割を果たし、住持の風景も鮮やかによみがえらせたのです。

 世界遺産となった首里城を語る上でも欠かせない人物です。鎌倉氏は、高名な建築家・伊東忠太氏とともに首里城の取り壊しを阻止。また私が関わった事業でも、「鎌倉資料があったからこそ正確な復元を成し得たのです。

 なお2冊とも、琉球王国の過酷な支配を受けた側である八重山・宮古地方にも目配りしており、重みを感じます。

 「松山御殿物語」(ボーダーインク)もご紹介します。琉球王国最後の国王の四男、尚順氏の遺稿などを収め、王朝の生活を今に伝える一冊です。氏の六男である尚詮氏は、開発ラッシュの中での景観保全を強く訴えている。泡盛を飲みながら何度も語り合ったことを思い出します。

 

 首里城は14世紀末ごろ創建され、約500年にわたり琉球王国の政治、外交、文化の中心でした。私は92年の復元に向けて現地責任者を務めましたが、一帯の立ち入りが制限される中、囲いの外から城内にある10の御獄に祈りをささげる住民の姿に心を打たれました。文化を深く理解したいという思いが高まり、休日には御獄やグスク(城など)を訪ね歩きました。

 離任後も毎年のように行っていたので、19年10月の火災は人生の一ページが破かれたようで、思わず涙がにじんできました。首里城は現在、22年中の着工、26年までの完成を目指しています。

 沖縄訪問は100回ほどになります。きれいな海に潜り、昔の仲間と沖縄料理を食べて泡盛を飲む。だけど、与えてもらうばかりでいいのだろうか、自分が役に立てることはないか。考えているところです。

 

↓実際の新聞記事はこちら
神戸新聞 2021年(令和3年)7月8日(木)夕刊 3面(PDF形式)

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